映画「かもめ食堂」の感想
せっかくの三が日ですが、コロナウィルスの影響もあって外出は憚れる今日この頃。
そんなときは、アマゾンプライムで映画だ!と思い、早速映画探し。
今日はなんだか、しっとり感動したい映画の気分なので、Google先生に
「アマゾンプライム 邦画 感動」と検索
アマゾンプライムにある人気映画はほとんど見た自負がありますが、前から興味があったにも関わらず、なぜか見れていなかった「かもめ食堂」を見ることに決定!
他の人のレビューに関して
私の悪い癖ですが、映画を観ようとするときは必ずレビューを気にしてしまいます。
「かもめ食堂」のレビューは平均星4.4です。まずまずの評価。
かならず否定的な評価を合わせて読んでしまう。。。
否定的な評価は「リアリティがない」「最初から最後までつまらない」、、、などなど
経験則からすると、こういったリアリティがない、というレビューをする人は予告もなにも見ないで、先入観をもって本編をみてしまい、自分の認識と映画の内容にずれが生じてしまったために「リアリティがない」という風に判断してしまうと思います。
また、「つまらない」という感想も、憶測にすぎませんが、ながら観をしている人に多いような気がします。映画に集中できていないんですね。
感想
実際に「かもめ食堂」を見た感想としては、星平均4.4は納得できる数字かなと思う程度でした。というのも、レビューにあった「リアリティがない」というものは、食堂経営はこんな甘っちょろいもんじゃない、みたいな感想も含んでいますが、この映画はそもそもリアリティを追求したものではないと感じました。すなわち、それこそ劇中で出てくる料理は、実際の日本食ですけれども、もたいまさこ氏演じるマサコがずっと探していた自分の荷物から、自分が森で拾った、いつのまにか無くなっていた大量のキノコがでてきたり、突然しらないおじさんから猫を預けられたり、あるいは、小林聡美氏演じるサチエが最後のシーンでプールで泳いでいる際に人に聞こえるか聞こえないかぐらいの声量で「かもめ食堂が満席になりました」とつぶやいたとところ、その場にいたプールの利用客全員から拍手を受けるというシーンが存在しますが、それらはとても現実とは思えないように描写されています。つまり、この映画は、リアリティというよりも、フィンランドにおける日本の食堂の日常をノスタルジックに描いた、いわば絵本のような、はたまた、小さい子供の将来の夢の作文のようなほのぼのとしたものだと言えます。むしろ、リアリティがないことが、良いとまで言えるほどに。「つまらない」という意見も「シックスセンス」や「メメント」みたいに一番最後に、どんでん返しが有ったりするわけでもなく、たんたんと日常が過ぎていくから出た感想だと思います。しかしここでも、私はあえて、なんでもない日常が良い、と言いたい。(なんか虎舞竜みたいになりましたが)なんでもない日常とは言いましたが、「フィンランドで日本食を提供する食堂の従業員同士のなんでもない日常」はほとんどの一般の日本人が経験するような日常ではありません。しかし、そこはかとなくほのぼのとした日常。それがいい。ハイボール片手にほろ酔いながら観るのが一番いいかもしれません。
意外な判例集(刑事)
裁判所は実際にどんな事実があったか、を追求する真実の解明というだけでなく、法律の条文がどんな趣旨をもち、どういった解釈をするか、を決める役割を持ちます。
そこで、今回は筆者が「これはおもしろい!」と感じた判例を紹介します。
なお、各判例の「○○事件」というものは通称があればそれを、ない場合は筆者が勝手に命名しております。
いずれも超有名なものばかりです。
1.「毀棄」の意義(放尿)
大判明治42年4月16日
「放尿事件」
(放尿行為に器物損壊罪を認めた事例)
「いわゆる条文に毀棄もしくは損壊とあるは単に物質的に器物そのものの形態を変更又は減尽せしむる場合のみならず、事実上もしくは感情上そのものをして再び本来の目的の用に供すること能はざる状態に至らしめたる場合をも包含せしむるものと解釈するを相当とす
故に本件のごとく被告において営業上来客の飲食用に供すべきすき焼き鍋及びとっくりに放尿せし以上被害者において再び該品を営業用に供すること能はさるはもちろんなる
→みんなも放尿したりしないよう気を付けましょう。
2.「暴行」の意義(塩まき・音・投石等)
大判昭和8年4月15日
判決要旨
「刑法208条第1項にいう暴行とは人の身体に対する不法なる一切の攻撃方法を包含しその暴行が性質上傷害の結果を惹起すべきものなることを要するものに非ず」
最高裁は暴行罪にいう「暴行」とは人の身体に対する不法な攻撃の一切を言う、とします。
以下事例を見ていきましょう
福岡高判昭和46年10月11日
「塩かけ事件」
(塩を振りかけた行為に暴行罪を認めた事例)
判決要旨
「(被告人が、嫌悪の情を抱いていた女性を追いかけ、塩壺から塩を数回、頭、顔等にふりかけた行為について)通常このような所為がその相手方をして不快嫌悪の情を催させるに足りるものであることは社会通念上疑問の余地がないものと認められ、かつ同女においてこれを受忍すべきいわれのないことは明らかである。してみれば、本件行為が不法な有形力の行使に該当すべきことはいうまでもない。」
→力士が土俵入りする際に特定のお客さんに向けて塩をどばっとかけたりしたら、暴行罪になるんでしょうか?
「大太鼓事件」
(音による暴行を認めた事例)
判決要旨
「被告人がブラスバンド用の大太鼓等を連打し、頭脳の感覚鈍り意識朦朧たる気分を与え又は脳貧血を起さしめ息詰るごとき程度に達せしめたときは暴行と解すべき」
→某サンシャイン〇崎も場合によっては.....?
東京高判昭和25年6月10日
「そんなつもりじゃなかった事件」
(投石する行為に、暴行罪を認めた事例)
判決要旨
「例えば人に向かって石を投じ又は棒を打ち下せばたとえ石や棒が相手方の身体に触れないでも暴行は成立する。/投石の動機がいたづらでも又その目的が同人を驚かせることにあっても投石行為を適法ならしめるものでないから/暴行をなしたものと言い得る」
→過激なイタズラはやめましょう
大判明治45年6月20日
「髪は女の命事件」
(女性の頭髪の切断に暴行罪を認めた事例)
判決要旨
「毛髪のごときは、身体の一部として法の保護する目的たることを失わずといえども、不法にこれを截断し、もしくは剃去する行為はこれをもって直ちに健康状態の不良変更をきたしたるものというを得ず、/刑法208条の暴行罪をもって処罰することを相当とす
→筆者は中学の時にいつもと違う1000円カットに行ったら
イジリー岡田みたいな髪型にされたことがあります。
3.「傷害」の意義(騒音)
大判明治45年6月20日(前掲)
判決要旨
「刑法第204条の傷害罪は他人の身体に対する暴行によりて、その生活機能の毀損すなわち健康状態の不良変更を惹起することによりて成立する」
暴行→傷害というステップで進みます。
以下、事例。
最決平成17年3月29日
「騒音おばさん事件(奈良騒音傷害事件)」
決定要旨
「被告人が約1年半にわたり、隣人に精神的ストレスによる障害を生じさせるかもしれないことを認識しながら、ラジオや目覚まし時計を大音量で鳴らし続けるなどして全治不詳の慢性頭痛等の傷害を負わせた行為につき、傷害罪の成立を認めた原判断は正当である。」
「引っ越し♪引っ越し♪さっさと引っ越し!しばくぞ!」
4.「わいせつ物」の意義
「チャタレー事件」
(わいせつ概念の維持)
判旨「わいせつ文書とはいかなるものを意味するか。最高裁判所の判決は『いたづらに性欲を興奮または刺激せしめ、かつ普通人の性的羞恥心を害し、善良な性的道義観念に反するものをいう』としている、そして我々もまた判例を是認するものである」
→「いたづらに~」の部分はぜひ声にだして読んでみたい判決文ですね。
→この事件は最高裁判所の大法廷、つまり最高裁判所裁判官15人全員で評議をしています。
15人のおじさんが一生懸命「わいせつ文書」について考えるってなんかとても楽しそうですよね。
「一応の推定」?
「一応の推定」とは
「高度な蓋然性を持つ経験則の働きによって、過失や因果関係といった要件事実を直接推認すること」
(出典:『表見証明(一応の推定)再論考のための一試論』安井英俊)
うーむ。難しいなあ。正直なにいってるかわからない
先日アマゾンプライムで映画を見ようとしていたら
柄本明主演の「一応の推定」という映画がプライムで見ることができたので
なんだか法律のかっこいい話なのかな、と思いながら視聴しました。
冒頭でタイトルでもある「一応の推定」についての説明がなされています。以下の通り
「一応の推定とは、保険の被保険者が遺書を残さないで自殺したとき典型的な自殺の状況が説明されれば裁判で自殺だと認定されるという理論である」
さて、映画を見終わったあとにグーグルで「一応の推定」と検索すると
ほぼこの映画か、原作の小説しかでてこない。
そこで、『民事訴訟法(リーガルクエスト)第3版』を参照してみると
わかりやすい具体例が載っていたので、ここに引用します。
「たとえば、開腹手術後にガーゼが腹腔内に遺留されていたのが発見された場合において、遺留の経緯や病院の過失に関する具体的な事実の主張・立証がない場合であっても、通常ではガーゼが腹腔内に遺留されることはあり得ないとの経験則を重くみることによって、抽象的かつ不十分な主張・立証に基づいて病院の過失を認定する場合などが、一応の推定(表見証明)の典型例である。」(p278‐279)
難解と呼ばれるリーガルクエスト民事訴訟法も抜き出してみると意外とすんなり頭に入ってきます。
ある事実が「証明」されるには「高度の蓋然性」が必要であり
裁判官を8割くらい納得させるほどの心証を形成することが必要だとされています。
そしてその納得させる方法として、具体的な証拠などが必要となってくるわけですね。
しかし、ことに医療過誤訴訟においては原告である患者側には医療の専門知識は無いのが普通な上に、医療という高度の専門性を有する事象において、詳細な事実を具体的に立証することは非常に困難であるから、証明の負担を軽減することが必要となります。
この訴訟上の証明については「ルンバール事件」が有名です。
要するに
普通に考えたらこういう事実があるでしょ、と高い確率でいえそうな場合にはそういう事実があった、ということを一応、推定しておく。
ということです。
さて、映画のほうの一応の推定に話をもどしてみると
上記映画内での説明は換言すれば
「超高額の生命保険をかけて、かつお金に困っていたような被保険者がなんの前触れもなく死んだら、それ、自殺でしょ、と裁判で一応認定されるよ」ということですね。
民事訴訟法はよくわからないのですが、法律のかっこいい単語とか概念が出てくると
おもわず知ったかぶってしまいます。
皆さんも明日から使ってみましょう。
「あ、それ一応の推定されるわ(笑」
みたいな感じで
「海の裁判所」?
なんだ唐突に、「海の裁判所」?
寝ぼけたことをいうんじゃない、別に訴訟物が海に関するものでも、山に関するものでも、空に関するものでも、管轄は全部「普通の裁判所」だろうが!
だいたい、そんな裁判所違憲だ!
わかったらさっさと勉強して寝ろ!
と、いわれるかもしれません
たしかに
日本国憲法第76条2項には
「特別裁判所は、これを設置することができない。行政機関は、終審として裁判を行ふことができない。」
とあります。
「特別裁判所」とは「特別の人間または事件について裁判するために、通常裁判所の系列から独立して設けられる裁判機関」とされています(『憲法』第7版芦部信喜p358)
この条文に関する判例としては
最大判昭和31年5月30日刑集10・5・756「児童福祉法違反事件」が有名ですね。
すなわち、判旨は
「家庭裁判所は一般的に司法権を行う通常裁判所の系列に属する下級裁判所として設置されたものであり、特別裁判所ではない。」
とします。
ところが、この条文は「特別裁判所」は禁止するのに対して行政が終審以外で裁判することを禁じてはいません。
つまり、第一次的に行政が裁判類似の手続きを司る機関を設けることはOKなのです。
その具体例として、題名に挙げた「海の裁判所」すなわち「海難審判所」、
国税に関する審査請求(不服申し立て)の裁決を行う「国税不服審判所」、
特許の出願の審査をする「特許庁」などが挙げられます。
行政の機関とされていますが、その実態は裁判をしているようなものなので
各審判は法曹が主体となることも多いようです。
国税不服審判所の所長は近年は東京地裁統括判事がなる傾向があるようです。
公正取引委員会、特許庁も関係者は法学者や法曹や準法曹がおおい様子。
ただ、海難審判所の審判官についてはその特殊性からか、応募資格が次のようにしめされています。
昭和40年4月2日以降に生まれた者で、次の要件に該当する者
一級海技士(航海) 又は 一級海技士(機関) の免許を受けた後、2年以上、次のいずれかの船舶の「船長」又は「機関長」の経歴を有する者
基本給も確認してみると 319,200円 ~ 410,200円 とあります。(結構もらってる)
以上のように、司法機関ではありませんが、「海の裁判所」はたしかに存在します。
しかもその海の裁判官(審判官)はまあまあ給料がいいです。
以前平均年収ランキングで北海道の猿払村が第三位という記事をみました。
その理由はホタテをはじめとする漁業の発展とのことです。
また、海に関する資格といえば「海事代理士」がありますね。
法学部の知識を生かして、海事代理士と船長の資格を取得して、審判官になれば
良い暮らしができるかもなーと、妄想したりしています。
「法の不知はこれを許さず」ーネット上の誹謗中傷ー
「法の不知はこれを許さず」
似た言葉に「無知は罪」というものがあります。
刑法第38条第3項には
「法律を知らなかったとしても、そのことによって、罪を犯す意思がなかったとすることはできない」
との明文の規定があります。
極端にいえば、人を殺したら、殺人が犯罪であるということを知らなくて
もそのことによって故意の成立は阻まれない、ということです。
最近、某テレビ局の某リアリティ番組の出演者がネット上の誹謗中傷に耐えかねて自ら命を絶ったというニュースが巷をにぎわせています。
これをうけてか、某SNSなどでは芸能人も誹謗中傷に対しては積極的に法的手段をとることを宣言することが増えてきているように思えます。
ネットでの誹謗中傷というものは時として過熱しがちです。
その理由として集団心理やネットリテラシーの欠如が挙げられますが、
私は、刑法の規範意識が正常に作用していないことが原因だと思います。
通常人が犯罪を犯すときは、刑法の「そんなことやっちゃだめだ!それをすると懲役などの刑罰がまっているぞ!」という一種の警告が働き、理性でその不利益を判断し
「じゃあ、やめよう」となる。これが刑法の一般予防の機能ですが、ネット上の誹謗中傷は、指先だけで簡単に、直ちに、広範囲に送信することができます。
刑法の規範意識が作用する間もなく行為が終了してしまいます。
しかし、上記に述べたように、罪を犯す意思がなくても故意の成立は妨げられませんので、ネットでの誹謗中傷は刑法230条以下の名誉に対する罪の構成要件に該当する可能性があります。
ただ、人の表現行為はとても繊細な事柄です。
ネット上の誹謗中傷すべてを法的手段によって解決できるとすれば、それはそれで人の表現行為を委縮させる結果につながり得るし、それは憲法問題にも発展し得ます。
人の死を利用するということではありませんが、この事件をきっかけとしてインターネットと刑法、民法、憲法の問題の議論がもっと一般の人にも深まっていけば、将来の被害者を救うことができるかもしれませんね。
「売買は賃貸借を破る」?
「売買は賃貸借を破る」
一見すると何を言ってるのかわからない感じがします。
これは、賃借権は債権であるから賃貸人が売買により目的物を譲渡したときは譲受人(新所有者)に対しては使用収益させるように請求できない。
つまり、売買契約によって新所有者が得る所有権は賃貸借契約による賃借権
に優先するということです。
この物権である所有権に債権である賃借権が対抗できないことを利用して
明治30年代に「地震売買」とされるものが社会問題になったようです。
近代国家になるにつれ地価が高騰し、土地の新たな利用を考える地主は他の地主と
形式上の売買契約を締結することで対抗要件を有しない借地人を追い出すことが
多発したーまるで地震のように借地人の地位を崩壊させることからこの名がついたそうです。
「二階に上げて、ハシゴを外す」とは
「二階に上げて、ハシゴを外す」
この妙な表現は一見何を表現したいのかよくわからないと思います。
これは大学などで法学を学んだ人なら一度は目にしたことがあるであろう超有名教科書
この文言は賃貸借契約の部分で登場します。
どういう文脈で使われたかというと、転貸借につき賃貸人が承諾をしておきながら、その後に賃貸借契約を合意解除することを例えて言ったものであります。
民法613条第3項ではこれはできないとされています。
信義則、とりわけ禁反言の法理からですね。
つまり、特にブログ名にした意味などはありません。
なんとなく面白いなあと思ったからです。
法学に限らないとは思いますが、硬い文章の中に突然このような文章が入ると
なぜか記憶にのこってしまいますよね。
そんな感じでこのブログでは筆者が記憶に残ったものを雑多に書いていきたいと思います。